現代に繋がっているタトゥー文化!タトゥー文化の歴史とは?

現代では、タトゥーは男女問わずに気軽に楽しむ方が増えているカルチャーとして、世の中に浸透しています。ここでは、現代に伝承されるまでの歴史について紐解いていきたいと思います。

タトゥー文化の始まりは海軍のアメリカンカルチャーから始まっている!!

タトゥー

現代のタトゥーに繋がる様々な肉体装飾文化

タトゥー文化の歴史と一言で言っても、実はタトゥー文化である肌に色素を入れる行為の歴史と言うのは沢山存在します。昔から、タトゥーは世界中で様々な形で肉体装飾されてきており、歴史は意外にも古くから存在しているのです。
肉体装飾を施す行為で言うと、日本では刺青和彫り、ニュージーランドのマオリ民族のマリオトライバルタトゥーは有名です。また、インドでは曼荼羅(マンダラ)をお坊さん数人で彫る等の宗教的要素もあれば、アフリカでは民族の掟として結婚が決まった女性の顔面や全身に模様を施される行為もあります。
このように、現代のタトゥーに繋がる文化は、実に昔から多種多様にあり世界中で存在していた文化なのです。タトゥーは肌の皮下組織の下に色素を入れてデザインを描いていきますが、色素を定着させるためには痛みを伴います。痛い思いをして体に刻む行為は、タトゥーを入れる人も何かの節目や決意の表現として行われる事が多いと言えます。
様々なタトゥーの風習が世間に一般大衆化したきっかけには、アメリカ海軍兵がお土産がてらに各地の港に着く度にワンポイントタトゥーを彫っていった事が由来しています。このワンポイントタトゥーは、オールドスクールと呼ばれ、タトゥーが初めてカルチャーとして誕生した起源となっています。

昔のタトゥーショップの形式が現代に繋がっている

昔のタトゥーショップでは、フラッシュと言われるタトゥーのデザインが下書きしてあるスケッチが、タトゥーショップスタジオの壁一面に展示してありました。そこに来店してお海兵達が自分の気に入ったデザインをそこから選び、そのデザインをその場で彫ってもらって帰ると言うスタイルが取られていました。このショップスタイルは、現代にも伝承されており、昔は世界中の海岸沿いの町にこのようなタトゥーショップが複数存在していたと言われています。
他にも、スクラッチ、キッチンタトゥー、いたずら彫り等と言われるタトゥースタイルも存在していた事が分かっています。これらは、プロでは無く素人が自分自身でタトゥー針にインクつけて彫るスタイルで、世界ではこのようなスタイルでタトゥーを入れる人もいました。また、タトゥーの本場であるアメリカでは、刑務所の中でタトゥーを入れていた人もおり、わざとタトゥーで描く線のラインを不均一にし、黒一色で有刺鉄線や反社会的絵柄を入れるスタイル等、ジェイルタトゥーと言うジャンルが確立していた歴史があります。

このように…

タトゥー文化は勢いよく世界中に広がっていき、優れたタトゥーアートの技術を持った多くのアーティスト達が世界中から誕生しました。タトゥー文化の拡散によって、タトゥーに関する情報、技術、技法等が各国に広く広まり、タトゥーのジャンルを一つとっても、相当なタイプのタトゥーが現代には存在しています。今も尚タトゥー文化では新しいジャンルが続々誕生しており、タトゥー専用インクやマシン等も色々と開発されています。
世界中ではタトゥーコンベンションやタトゥーエキスポと言われるイベントが沢山行われており、オランダのアムステルダムにはタトゥー好きの愛好家によってタトゥーミュージアムが建設され、日本の刺青である和彫りが入った人間の生皮が展示されています。

日本と入れ墨文化の歴史とは?

タトゥー

古くから風習があった日本の入れ墨

日本には昔から和彫り文化が存在しています。この入れ墨と言う文字は、江戸時代頃に罪人の体に彫られた印が入れ墨と言われており、その入れ墨が現代の刺青に繋がっています。刺青になった由来には、とある小説家が墨を肌に入れると色が青くなる事から、青を刺して入れる事を刺青と呼ぶようになった事がきっかけになっています。こうして、和彫りのタトゥーの事を刺青と呼ばれるようになったと言われています。
日本で行われていた肉体装飾文化は、遡ると江戸時代よりも遥か昔から存在していた事が分かっています。しかし、世の中に広く浸透し親しまれるようになったのは江戸時代中期からと言う諸説があります。江戸時代に存在していた火消しや鳶職のように命を懸けた仕事に就いていた人達が、自分達の勇ましい生き様を粋として、体の背中一面や全身に紋紋(もんもん)を刺青で入れる風習があったと言われています。

和彫りが繁栄した江戸時代の時代背景…

戦国時代を経て社会情勢が安定し始めた江戸時代に、再び刺青文化の歴史が動き出します。誓い合いの方法として、遊女と客との間でお互いの名前を体に彫ったり、侠客の間でも用いられたりするようになります。とび職や飛脚の仕事をしている人にも刺青は好まれていたと言われています。
また、一般大衆に装飾的なタトゥーが繁栄した背景には、江戸時代に存在していた火消し衆の影響が挙げられます。江戸時代では「火事と喧嘩は江戸の華」と言われており、当時の町並みは木造で造られた長屋が密集していた為、放火も多く火災も多々ありました。火災を命懸けで鎮火した粋な江戸っ子に火消し衆の存在があります。火災で自分自身の顔が焼けてしまっても自分達の存在を識別させる為に体に刺青を入れる人が多く居たと言われています。

世間に刺青が広まったきっかけ…

こうした刺青文化があった時代事を、歌川国芳を始めとする沢山の浮世絵師が絵にしたり、歌舞伎役者も刺青を入れたりする等、一般大衆化していくようになります。江戸時代の当時は、絵柄に関しては中国や日本の古民話等の登場人物、現在タトゥーの定番デザインになっている龍、般若、鯉等がよく描かれていました。それとは別で、罪人とそうで無い人を区別する為に真っ黒の輪っかを刺青で入れる等の行いもこの時代には行われていたとされています。これは絵柄では無く印を体に入れる入れ墨文化が始まったきっかけにもなっています。このように、昔からタトゥーと言うのは体に墨を入れる行為は生活に馴染み密接していたと言う事ができ、入れ墨はまさに日本の伝統文化なのです。

現代のタトゥー文化の特徴とは?

タトゥー

世界はもちろん日本でもタトゥーの価値観は大きく変化しています。以前はタトゥーに対して偏見があった価値観も、今では多くの人がタトゥーに対して肯定的な意見をもっています。こうして、現在では幅広くタトゥーが親しまれるようになり、オシャレを彩るアイテムの一つとして定着しています。
現代のタトゥーは、実にそのデザインやスタイルも多種多様になっています。もちろん、大きなアートのタトゥーも人気で健在ですが、近頃は男女問わずにワンポイントタトゥーも流行しています。また、昔のタトゥー文化のように民族的な意味合いでは入れる事は少なくなり、今はタトゥーを入れたい人の思い、主張、芸術性が強くなっており、ファッショナブルに楽しむ人が増えています。こうして、日本のタトゥー文化も段々と世の多くの人に受け入れられ、今やそのタトゥー文化は身近なカルチャーとして受け入れられてきている時代となっています。